2010年4月のお知らせ

3月19日、「今年初めて、夏日を記録しました。気温は25度」とお天気の知らせ。湿度が高く、台風の前日のような暖かい一日。神社の境内にある桜の木は、蕾をつけ始めました。私は淡いピンク色の「つぼみの桜」が好きです。

入学・入社・転勤など、新しい生活が始まる季節です。「新入り小学生と新米先生のふれあい」の物語、壺井栄の「二十四の瞳」を思い出しました。1928年、師範学校を卒業したばかりの大石先生は瀬戸内海に浮かぶ島の岬の分教場に赴任します。新入生の児童(男子5人、女子7人)は、大石先生が大好きで、おなご先生は人気者になります。

原作の中に書かれてある、初めて教壇に立った大石先生の感想です。「今日、はじめて一つの数から教え込まれようとしている小さな子どもが、学校から帰ればすぐに子守りになり、麦搗きを手伝わされ、網曳きにゆくというのだ。働くことしか目的がないようなこの寒村の子どもたちと、どのようにつながっていくかを思うとき、一本松をながめて涙ぐんだ感傷は、恥ずかしさでしか考えられない。今日はじめて集団生活につながった十二人の一年生の瞳は、それぞれの個性にかがやいてことさら印象ぶかくうつったのである。この瞳を、どうしてにごしてよいものか!」。子どもたちへの大石先生の責任感・優しさが感じられます。昭和の戦前・戦中の時代背景の中で、子どもたちが日常的に家族のために働いていたことが伺われます。

自転車に乗り洋服姿で登校する大石先生は、「ハイカラ」であることを理由に、当初は村人たちから敬遠されます。ある日、大石先生はアキレス腱を切り、自宅で療養していました。子ども達は親に内緒で、先生の家がある一本松まで会いに行きます。「先生の顔見にきたん。遠かった~」。「みんなで約束して、黙ってきたん・・」。いつのまにか、大石先生は子ども達にとってかけがえのない存在になっていました。作者の壺井栄は、明治32年(1900年)、高松沖の小豆島に生まれました。樽職人を両親に十人兄弟姉妹の五女として、そして両親がひきとった二人の孤児の中で育ちました。「二十四の瞳」の小説は、兄弟姉妹十二人を分教場の子ども達に置き換え、壺井栄の妹「シン」が代用教員をしていた岬の分校が舞台となりました。

数年前、私はこの岬の分校を訪ねました。靴を脱いで、細長い廊下を歩きます。ミシミシ・・床が少し「きしむ」音。「木の柱」から温かさと懐かしさが伝わってきます。「わ~!!」思わず叫んでしまいました。一台の「オルガン」があります。(私が)小学生の頃、先生の弾くオルガンの周りに、みんなが集まって聴いていた光景を思い出しました。オルガンの音色は(ピアノと異なって)柔らかく優しい。オルガンが聞こえてくるような、そして幼い頃に戻れるような空間でした。岬の分校を後にしながら前の部分が出ている「ボンネット・バス」が、ふと走りすぎた思いにかられました。

春は始まりの季節!!毎月のお知らせの中で「げんまいくん」のイラストを描いている「ななちゃん」も4月から大学生。新しい生活が始まります。

4月のお休みは 17日(土曜日)、29日(昭和の日)
   それと日曜日です。

神戸に住んでいる小学校時代の同級生から、プレゼントが届きました。「春の便りの、いかなごのくぎ煮です」とのメッセージとともに・・。彼女の手作りです。おからだ大切になさって下さい。

木下製粉株式会社会社  平成20年4月1日