2010年11月のお知らせ
静まり返った日曜日の夕暮れ、あたり一面に「白い煙」が立ち込めています。稲刈り後の「野焼き」の光景です。時間の流れがゆったりと、時には止まったかのようにも思えます。冬仕度の季節です。
社内旅行の続きです。京都の町並みは、(讃岐の土地でノンビリと育った)私たちの気持ちを「わくわく」させてくれます。ホテルに着くやいなや、近くの「西本願寺」に出かけました。砂利石を歩き、阿弥陀堂に入ります。畳に座って、仏様を見ていると気持ちが落ち着いてきます(不思議です)。隣の御影堂内では441枚の畳を敷き、1200人を超える人たちが一度に参拝できるそうです。
翌朝、宇治川のほとりに位置する平等院鳳凰堂を訪ねました(中学校の修学旅行以来です)。今から約1000年前、平安時代後期の日本は「末法思想」が、世の中を支配していました。「末法思想」とは釈迦の入滅(死去)後、2000年を経ると、法は失われ、疫病や戦乱が流行り、世の中が乱れるという(仏教的立場から見た)思想です。当時、(権力争いにより)世の中の政情は不安定。それ故、人々は不安から逃れるために、阿弥陀如来を信仰し、仏堂を建て、一心に極楽浄土を願いました。
そして貴族は、宇治川を望む景勝地として、「宇治」の地に別荘を数多く建てました。娘たちを天皇家に嫁がせ、権力をほしいままにした「藤原道長」も宇治に別荘を建てました。道長の子である「藤原頼道」が、父の別荘「宇治殿」に阿弥陀堂を建立し、寺院としたのが「平等院」の始まりです。貴族も僧侶も民衆も、みんな極楽浄土を願って阿弥陀仏様に救いを求め、「仏の救済はすべてに平等」という意味を込めて平等院は完成しました。
平等院の中心的な建物である阿弥陀堂は、江戸時代から鳳凰堂と呼ばれました。建物全体が、鳥が羽を広げた形に似ていることや、「鳳凰」が屋根の南北の両端に飾られていることから名付けられたそうです(一万円札紙幣に「鳳凰」がデザインされています)。「鳳」は雄、「凰」は雌で、中国に棲んでいると言われる空想上の鳥です。ガイドさんは「両方から向かい合っている鳳凰は、胸を突き上げて、今にも戦いに挑む堂々とした姿勢が感じられます。そして、阿弥陀如来様の手は、すべての人たちを助けるように水かきがありますよ」と説明してくれました。
私は鳳凰堂の内部の白壁に飾られている「木造雲中供養菩薩像」に興味を持ちました。雲に乗り、阿弥陀如来様とともに来迎する52体の菩薩像です。各々の菩薩像のポーズは変化に富んでいます。琴・琵琶・太鼓などの楽器を演奏したり、合掌したり・・。アコーディオンのような楽器を演奏している菩薩様もいます。顔の表情がすごく穏やかで、楽しそうで、自然です。菩薩様が身近に感じられました。平安時代の人々の生活・時代背景の説明を聞きながら、歴史を知ることを学びました(歴史を知ることは、困難に出会ったとき、答えのヒントを与えてくれます)。小さな10円玉の裏側に平等院が刻まれています。深い歴史が刻まれていると思いながら、10円玉を眺めています。
11月のお休みは | 3日(文化の日)、13日(土曜日)、23日(勤労感謝の日) |
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それと日曜日です。 |
ヒンヤリとした空気の中で、ほのかな甘くて優しいかおり・・オレンジ色の「金木犀」の花が微笑んでいました。おからだ、大切になさってください。
木下製粉株式会社 平成22年11月1日