2012年7月のお知らせ

夏至に近い夕暮れどき、3歳くらいの男の子と、お父さんが庭で遊んでいました。よく見ると、お父さんは(子ども用の)三輪車に乗って、小さな庭を「くるくる」と回っています。夕陽の中で、お父さんと男の子は、童話の中にでてくるような光景でした。

5月、岡山県立美術館にて、「ベン・シャーン」絵画展を見ました。30年ほど前、友人から贈られた絵画展のパンフレットが、ベン・シャーンとの出会いでした。表紙の絵は、「麦の穂」が空に向かって伸びています。黒色で描かれた輪郭の線はシンプルで個性的、そして表情豊か。麦の穂が、人々の表情にも思えてきました。ベン・シャーン(Ben Shahn)は、1898年ロシア帝国の「コヴノ」(現在のバルト三国のひとつ、リトアニア国のカウナス)に生まれ、1906年ニュー・ヨークへ移住しました。石版画工房での見習いをしながら、美術の勉強を重ね、画家としての活動を始めました。弟から譲り受けた「ライカ社」の小型カメラで、多くの写真を撮影しています。被写体はニュー・ヨークの街角。道端で何かをする当てもなく座り込む失業者・盲目のアコーディオン弾き・目の表情が少し不安そうな写真売りの黒人男性など。写真から、その土地に住んでいる「人々の生活」が感じられます。シャーンは、常に社会の片隅に位置付けられている人々を見つめていたようです。

1960年3月京都で過ごし、写真を残しています。破れかけている電柱の広告・学生服を着た男子学生たち・京都の町屋の石畳の路地・お店の看板・道端の小さな地主神さま・履物屋の店先。「どこの国へ行ってもそうですが、街を歩いてまわり、人々の生活を見ます。それから人々を理解するために、人々を支えている文化的な遺産にふれます。生きている現代の民衆の生活が第一です」と、シャーンは書き記しています。展示室の最後に、「ラッキー・ドラゴン」と題された絵画が飾られていました。

1954年3月1日、静岡県焼津港所属のマグロ漁船・第五福竜丸は、太平洋に浮かぶビキニ環礁付近で操業中、アメリカの水爆実験に遭遇し、全員が死の灰を浴びました。船員たちは最初、何が起こったか解りませんでした。後日、第五福竜丸の被爆のニュースは世界を駆けめぐります。同年9月、無線技士の久保山愛吉が最初の犠牲者となりました。ラッキー・ドラゴンの絵画は、「私は久保山愛吉という漁師です」と書かれた文章を持つ一人の男性が、キャンパスいっぱいに描かれています。1960年の作品です。驚きました。半世紀前に、シャーンはすでに原爆の存在・第五福竜丸の出来事にメッセージを投げかけていたのですから・・。奇しくも、ラッキー・ドラゴンの絵画は、福島県立美術館に所蔵されています。

絵画展を見ながら、ベン・シャーンは、社会の不正義に真正面から立ち向かい、理不尽な貧困に目を向けた社会派の画家であると思いました。そして、「日常のありふれた生活が、私たちにとって幸せである」ことを、改めて教えてくれました。お母さんに抱かれた小さな女の子に出会いました。大きな瞳で、瞬きもしないで何かを見つめています。女の子が成人し、母親そして、おばあさんになる頃、いつも穏やかな時間が流れていますように・・と願います。

7月のお休みは 16日(海の日)、28日(土曜日)
   それと日曜日です。

もうすぐ夏休み!パリのセーヌ河では7月、「パリ・プラージュ」という人工海岸が作られるそうです。砂を敷き詰め、ビーチ・パラソルをたてて、水着姿で日光浴をする。「街中でバカンス気分を楽しむ事」と(自動車の乗り入れを禁止することにより)「大気汚染の削減」が目的です。楽しそうですね。おからだ、大切になさってください。

木下製粉株式会社  平成24年7月1日