2013年12月のお知らせ
「師走」の声を聞いて、なにかしら・・「そわそわ」。2013年、たくさんの思い出を作られましたか!?ある日、携帯電話に記録されている写真を見ていると、一年間の出来事が凝縮されていることに気づきました。便利な時代になりました。30年ほど前、先代社長は大きさが辞書ほどの無線電話を購入しました。当時の機能としては、(雑音が多く)自分と会社との間だけの通信。先代社長は仕事の合間に、瀬戸内海を見渡す「みかん山」に出かけました。みかんの手入れをしながら、海を眺め、仕事への鋭気を養っていたようです。
瀬戸内海には「島」がいくつ、あるでしょう!?「島」は自然に形成された陸地であり、水に囲まれ高潮時においても水面上にあるものと、定義されています。外周が0.1km以上の島々が、瀬戸内海に727あります。香川県には、有人島24、無人島92、約45000人が住んでいます。今年、第2回瀬戸内国際芸術祭が島々で開催されました。香川県の西に位置する観音寺市から船で30分。8月の暑い日、伊吹島を訪ねました。伊吹島の港では、色鮮やかな大漁旗が人々を出迎えます。讃岐うどんの出汁は、「いりこ(煮干し)」でとるのが基本。伊吹島は「いりこ」の生産地であり、現在17軒の網元が営んでいます。
いりこの最盛期(6月~9月)にもかかわらず、島の人たちは「冷たいお茶」と「いりこの天ぷら」をご馳走してくれました。すごく、おいしい!! ぶるるるーー。バイクが坂道の真ん中を走ってきます。お父さんは、小さな子供を前に座らせて、バイクを走らせています。ヘルメットなんて、着用していません。小さな島の中では、交通規則は必要ないみたいです(笑)。「伊吹島」の名前の由来は、島の沖合で海底から「泡」が吹き出しているところがあり、大地が息を吹いている「息吹」がなまって、「伊吹島」と呼ばれるようになったと、海上タクシーの運転手、三好さんが説明してくれました。朝に夕に、観音寺市と伊吹島の間を、医師と看護師さんを送迎するそうです。
10月下旬、丸亀市の隣町、多度津町から船で30分、高見島を訪ねました。江戸幕末の1853年、ペリーが開国を求めに神奈川県の浦賀に来航。そして1860年、勝海舟艦長の咸臨丸が日米修好通商条約の批准書交換のためにアメリカへ出発しました。乗組員の多くは塩飽諸島(西備讃瀬戸内海に浮かぶ28の島々)の出身であり、高見島から4名が乗り込みました。かつて高見島は、蚊取り線香の原料となる除虫菊の生産が盛んでした。1964年(昭和39年)の新聞は、春の季節、満開の除虫菊で「白く」染まった島の写真を掲載しています。戦後、化学物質が殺虫成分の主流となったために、除虫菊は産業として栽培されなくなりました。高見島は、他の島々よりも土地の勾配が急である印象を受けます。例えば歩道の高さが、隣の家の屋根の高さと同じ。高齢の方にとって、島での生活は大変だろうな・・と思います。
山野さんは50年前に島を離れましたが、祖父母の面倒を見るために小学校6年生から4年間、島で暮らしました。学校の帰り、山に登り除虫菊を摘み取るお手伝い。そして今、再び祖父母が住んでいた空家を補修するために高見島に通い始めました。「少しずつ、斜面を耕して、除虫菊を植えています。来年、海から、除虫菊の白い花でいっぱいの高見島を眺めることを、楽しみにしています」と、恥ずかしそうに微笑んでいました。幼い頃の思い出や情景は、いつまでも心に残っています。
山野さん宅で、高見島の味、「茶粥」をご馳走になりました。瀬戸内海の島々で生活する人たちの、「温かさ」を感じ、瀬戸内海の大切な「もの」は、島で暮らす人々の「生活の中」にあると思いました。平成22年度の国勢調査によると、高見島は31世帯、43人の方が暮らしています。(「わがまま」な言い方ですが)島で暮らす生活を大切に思う人々が、多くなれば・・と想い巡らした一日でした。
12月のお休みは、23日(天皇誕生日)30日・31日そして日曜日です。(年始は1月5日まで、お休みを頂きます)
今年も、皆様のご協力を得て、年末・年始のお休みを頂くことができます。ありがとう ございます。おからだ大切になさって下さい。