2014年1月のお知らせ
讃岐のお雑煮は、「餡もち雑煮」ではじまります。「えっ!!」という声が聞こえてきます(笑)。「いりこ(煮干し)」で出汁をとった白みそ仕立ての味噌汁に、大根・金時人参・お豆腐、そして餡子が入った丸餅を入れて、出来上がり。餡子を作るために、小豆を入れたお鍋を練炭火鉢にかけ、一晩中、ゆっくりと煮ます。火鉢のそばで、「ぐつぐつ」と音を立てる餡子を見ながら、新しい年の準備をします。楽しい思い出のひとつです。
映画「ローマの休日」を初めて見たのは、50年ほど前でしょうか・・? 激務に疲れ、大使館から抜け出したアン王女(オードリー・ヘップバーン)は、偶然、新聞記者ジョー(グレゴリー・ペック)と出会います。お互い、身分を明かさず、ローマの名所を冒険する楽しいひととき。映画の最後、王女と新聞記者たちとの会見の場面で、アン王女は、ジョーが新聞記者であることを知ります。ジョーは王女のことを記事にしないことを、密かに告げます。誰もが、ヘップバーンの妖精のような笑顔に魅了されました。
この映画の背景には、アメリカの「闇」の歴史が刻まれていることを知りました。1929年、ニュー・ヨークのウォール街から始まった世界恐慌。ルーズベルト大統領はニュー・ディール政策を打ち出し、公共事業拡大による雇用拡大、労働者の待遇改善などの社会主義的な政策で恐慌を乗り切ります。世界恐慌は資本主義の弱点を露呈し、アメリカ共産党は勢力を拡大します。1947年、トルーマン大統領は、共産党封じ込め政策を発表し、「赤狩り」が施行されました。社会的地位から、共産党員や支持者を追放しようとした運動です。最初に狙われたのが、ハリウッドの映画人たちでした。監督や俳優たちは「思想と言論の自由を保障する憲法に反する」と、抗議を呼びかけました。ダルトン・トランボ Dalton Trumboは共産主義者としてハリウッドを追放されながらも、脚本家としての仕事を続けます(300人もの映画人が追放されました)。「赤狩りの嵐」が吹く中、書かれたのが「ローマの休日」でした。トランボは親友の脚本家「ハンター」の名前を借りて、出版。名前を借りることは大変、危険なことです。一歩、間違えると、親友までも追放される危険性があるからです。
当時、ハリウッドではスタジオ撮影が常識でしたが、ワイラー監督はすべての映画撮影・編集を、ローマで行いました。信頼できる人物だけをローマに連れて行き、スタッフのほとんどはイタリア人です。新人オーディションにより選ばれたオードリーは、1929年ベルギーのブルッセルの生まれ。第二次世界大戦中、ナチス占領下のオランダに住んだ経験から、レジスタンスを支援した少女でした。グレゴリーも、いち早く赤狩りの抗議団体に参加しました。ローマでの撮影にこだわった理由は、自由に「のびのび」と撮影できる環境にあったからです。
2003年、「ローマの休日」公開50周年を記念して、原作「ダルトン・トランボ」の名前が初めて、「ローマの休日」の映画の画面に記録されました。平成25年12月6日、国会にて特定秘密保護法が成立。朝日新聞は、「どうする 秘密法」と題して毎日、様々な職業の方の意見を掲載しています。12月27日付け、映画作家の大林宣彦さんは「平和 命懸けで守りたい。僕ら、敗戦少年世代の最後の使命だと思っています」と記されています。「自由な空気を求める」メッセージが、「ローマの休日」には隠されています。何度も観た映画「ローマの休日」。次回は、なにかしら異なった想いで観れそうです。
1月のお休み、年始は5日まで、13日(成人の日)、25日(土曜日)そして日曜日です。
「午」の年が動き出しました。皆様が、ご健康で楽しい出来事にあふれた一年でありますように・・。おからだ、大切になさってください。