2014年12月のお知らせ
「師走」の季節を迎えました。今年をふりかえり、「楽しかった事」や「心に残る言葉」を思い探してみました。毎日、どこからともなく音楽が流れてきます。先日、ジャズ・サックスを演奏する渡辺貞夫のライブに出かけました。「ジャズは、どうも解らないな~」と耳にします。演歌であれ、クラッシックであれ、ポップスであれ、「自分にとって、心地よく感じる音色が大切」だと思います。ジャズの起源は1930年代、(奴隷として)アメリカに連れてこられた黒人たちが、教会音楽・ヨーロッパの民俗音楽などの西洋音楽と、アフリカ音楽を組み合わせ、発展させた音楽です。
渡辺貞夫は1933年、栃木県の生まれ。1951年に上京して演奏活動を始めました。アメリカの北東部に位置する港街ボストン(ニュー・ヨークの北部)にジャズ音楽を専門とするバークリー音楽院があります。1956年、日本人で初めてバークリー音楽院で学んだ穐吉敏子(ピアニスト)は、渡辺貞夫をバークリーで学ぶことを説得しました。1962年、半世紀以上も前の事です。
高松でのライブは、小さなカフェで開かれました。開演1時間以上も前から、お店の外でファンが列を作りました。店内は折りたたみ式のパイプ椅子が並べられ、100人ほどの方が来られていたでしょうか。6時過ぎ、すでに満席です。通常のライブとは異なる雰囲気が伝わってきます。例えば、飲み物と会話を楽しみながらも、どことなく気持ちを抑え気味。この夜のライブを待っていた熱い想いが伝わってきます。開演の7時になりました。渡辺貞夫が現れるや否や、すごい歓声が上がりました。懐かしい「恋人」を待っていたかのような歓声です。「ライブの良さ」は演奏者と客との距離が近くて、演奏者と音色を身近に感じられることです。
私の前の席の男性は、「僕、81歳です。渡辺貞夫と同じ世代ですよ。ライブの醍醐味は、演奏者の音を、近くで聴けること・・。いいですよね。この空間・・」と言われていました。最前列の男性は、渡辺貞夫の奏でるサックスに、顔が写っています。3列目の私の席からは、渡辺貞夫の指の動きがはっきりと見えます。そして、サックスを吹くときの頬のふくらみも、はっきりと見えます。今夜のライブはスピーカーが使われていません。「後方のお客様、サックスの音が聴こえますか?」と渡辺貞夫が言うと、後方から「大丈夫で~す。よく聴こえます」との返事。ライブならでは、心が温かくなる応答です。
演奏者たちは、ギター・ベース・ドラム・パーカッションの4名。渡辺貞夫にとっては孫の世代のような若者たちとのセッションです。しかし、若者たちのほうが、渡辺貞夫からパワーを頂いていると思いました。というのは、若者たちの表情が「いきいき」と演奏しているからです。渡辺貞夫の後ろ姿を見たとき、ひとつの言葉を思い出しました。「何かを続けている人は、歩んで来られた人生が後ろ姿に現れています」。優しい音色を奏でる中に、鋭い視線を感じます。プロとしての「音へのこだわり」を感じました。
ライブは、渡辺貞夫の「メリー・クリスマス!」という言葉で締めくくられました。帰り道、冬の夜空を見上げました。雨上がりのあと、夜空はいっそう澄んでいます。「明日から、また前に進むことができる」という想いに包まれた夜でした。
12月のお休みは、23日(天皇誕生日)・30日・31日、そして日曜日です。
会社から勤労感謝の日(11月23日)に、勤続5年毎の節目に小さな記念品を贈ります。今年は、勤続20年、15年、10年、5年の5名に贈られました。健康で、一緒に働くことができる毎日に感謝しています。おからだ、大切になさって下さい。