2015年9月のお知らせ

m2015098月13日、朝から「ぽつり、ぽつり・・」と雨が降り始めました。讃岐に住んでいる私たちにとっては、「恵みの雨」です。35℃近い猛暑が続いた日々。からだも心も、恵みの雨に助けられました。

8月15日は、戦後70年の終戦の日です。人生の先輩である知人たちからの便りは、「平和の大切さ」を(戦後生まれの)私にとって、より身近に感じさせてくれます。香川県製粉組合で働かれていたSさん・・「当時、20歳になれば徴兵検査が義務付けられ、軍隊に入隊。私たちにとっては、それが昭和20年です。太平洋戦争が終結したのが70年前。考えれば私たちは、昭和と共に、戦前、戦中、戦後を過ごし経験した貴重な存在だと思っています」。

半世紀近くアメリカに住んでいるHさんご夫婦の奥さまからメールが届きました。「夕食後、4時間にわたる、NHK戦後70年特別企画番組を見ました。気持ちは重く、決して穏やかではありません。私が9歳の時、父だけを東京に残し、家族4人で広島へ集団疎開しました。広島に原爆が投下された日、母は1歳の妹を背負い、1番電車で広島駅から、(私が集団疎開している)三次まで、1時間半の道のりを私に面会に来てくれました。今、命がつなげられた運命の不思議を、そして平穏無事に生きてこられたことを・・改めて」と締めくくられています。私は初めて、このお話を知りました。

数年前に買い求めた野坂昭如原作の絵本「るの墓」を、久しぶりに開きました。物語は、昭和20年6月5日の朝、神戸の街の大空襲から始まります。兄(14歳)のせいと、妹(4歳)節子せつこが戦時中・戦後の混乱の中で必死に生きる物語です。ある夜、疎開先で「ほたるの光」を追いかけて、池のほとりにやって来ました。数えきれない「ほたるの光」、そして「不思議な美しさ」に見とれました。清太は大切に持っている「ドロップ缶」から、一粒のドロップを節子の口に入れます。節子の口の中で、甘いかおりが広がります。描かれている節子の表情が、なんとも言えず、素朴で無邪気で、可愛い。そして、最後のドロップがなくなります。清太は「ドロップ缶」に水を入れ振って、「ほら、ドロップすいや!」。節子は「あじが、いっぱいする」と言います。

私はこの情景が、好きです。見逃されがちな日常の場面が、さり気なく、そして細やかに描かれています。幼い頃、私自身、ドロップ・キャンディーを食べました。白色の「はっか味」は苦手でした(笑い・・)。空っぽになると、お水を缶に入れ振り、ドロップ水を飲みました。確か、「サクマのドロップ」と記憶しています。驚きました・・。絵本には「サクマ式ドロップス」と、右から左へと描かれています。物語の最後は、節子の白い遺骨が入ったドロップ缶を握りしめた清太が、栄養失調のために死を迎えます。

絵本を読み終えたあと、毎日の生活の過ごし方・食べ物・過去・現在・未来・・いろんな事が心の中で交錯しました。父親が戦地に赴いたときに使っていた、お米を炊く「(はん)ごう」が手元にあります。父にとっては、沢山の思い出が詰まった「飯ごう」だったと思います。戦争の後も折に触れ、使っていたからです。例えば、(瀬戸内海に浮かぶ)小豆(しょうど)(しま)が水害に遭ったとき、この飯ごうを持って、救援に出かけました。この季節、「両親に戦時中の生活を、きちんと聞いておけばよかった」と思います。同時に、「どんな出来事があったのだろう?」と怖くて聞けなかったかもしれません。

8月18日付けの新聞に、香川県善通寺市立西中3年生の小松未和さんが、修学旅行で鹿児島県の知覧(ちらん)特攻平和会館を訪れた事が書かれていました。「戦争体験を伝えてくれる方が少なくなっている今、私たち若者に、その役目が回ってきていると思います。戦争の事実を忘れず、戦争の時代を生き抜いた人たちのことを忘れず・・」。私は、「ぽん」と背中を押された気持ちになりました。

9月のお休みは、12日(土曜日)・21日(敬老の日)・22日(国民の祝日)・23日(秋分の日)そして日曜日です。

夕暮れになると、鈴虫の鳴き声が聞こえてきます。「今日も、無事、一日を終えることができた」と思う時間です。おからだ、大切になさって下さい。