2016年1月のお知らせ
今年も皆様にとって、ご健康で、心穏やかな時間にあふれる毎日でありますように・・!!
10月、新聞に掲載された1枚の写真に魅了されました。「生き生きとした、素敵な表情にあふれた」写真。白い帽子に、淡い水色のシャツを着た日本人らしき男性を囲んで、たくさんの子供たちが「ピース・サイン」をしています。2004年、大村智さんが、アフリカのガーナ共和国へ行かれた時の写真です。大村さんは、アフリカ地方の熱帯病、オンコセルカ症(河川盲目症)の特効薬「イベルメクチン」を発見し、2015年のノーベル生理学・医学賞を受賞されました。「オンコセルカ症」はハエよりも小さい「ブユ」という虫を媒介に、刺されると皮膚や目に侵入して、失明します。特効薬が発見される以前、毎年1800万人が感染し、そのうち約27万人が失明し、50万人が目に障害を持つと言われています。いかに、オンコセルカ症が恐ろしい病気であるかを理解できます。
1958年5月1日、大村さんは都立墨田工業高校の夜間部教師として、社会人の第1歩を歩み始めました。学期末試験のとき、仕事を終えて急いで学校に来たのでしょう。一人の学生が、手に油をつけたまま鉛筆を握りしめ、解答用紙に向かう姿を見て、「この子供たちに恥じないように、自分はもっと勉強しなければいけない。教師として、生徒たちに教えたことよりも、生徒たちから学んだことが多い」と記されています。
12月、NHKのラジオ番組「ラジオ深夜便」の「明日へのことば」というコーナーで、大村さんが現在に至るまでの経験を語られていました。ラジオは(テレビよりも)、その方の人柄や雰囲気が、より鮮明に伝わってくると思います。難しい話題は、易しい言葉で説明されます。話の流れが穏やかで、そして「テンポ感」があり、聴く側の心に、す~っと入ってきます。馬場錬成著の「大村智ものがたり」は、大村さんの人柄を、より身近に感じさせてくれます(本の中で、大村さんと記述されているので、お知らせの中でも、大村さんと呼ばせて頂きます)。
1970年代、ドイツのベーリンガー・マインハイム製薬会社を訪ねたとき、研究所に「北里柴三郎先生のブロンズ像」が飾られていたことに驚きました。ベーリンガー製薬会社は、第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞した、ドイツのエミール・フォン・ベーリング博士が設立した会社でした。ベーリング博士は、北里柴三郎先生と共同研究の成果が評価されて、ノーベル賞を受賞されました。この旅がきっかけで、大村さんは研究者であると同時に、北里柴三郎先生が設立した「北里研究所」を守ることを決意します。しかし、現実は北里研究所の財政難、そして大村研究室の閉鎖という事態に直面します。大村さんは、「研究室の経営」を考え始めます。例えば、企業から研究資金の支援を得て、発見した化合物の使用権を企業に託します。もし企業が、その化合物の実用販売化に成功した場合には、売り上げに応じて「特許料」を研究室に還元して頂くという仕組みです。
1981年、イベルメクチンの商品化に伴い、北里研究所とアメリカのメルク社との間で、特許料に関する契約が結ばれました。そして、特許料による収入は、北里研究所の財政改善へと導きます。2004年、イベルメクチンの発見から25年という節目の年に、大村さんはガーナ共和国へ感染症の根絶状態を視察するために出かけました。大人たちとは対照的に、オンコセルカ症と無縁になった子どもたちの元気な姿を確認しました。通訳の方が、「この先生は、イベルメクチンを作った先生ですよ」と言うと、怒濤のような叫びが上がったそうです。そして、案内の方がカメラを持つと、子供たちが「わっ」と、大村先生を囲みました。魅了された写真は、この時に撮られたものです。
1月のお休みは、1-4(お正月休み)・11日(成人の日)・23日(土曜日)そして日曜日です。
さあ、「申の年」への準備、できましたか! レッツ・ゴー!
おからだ、大切になさって下さい。