2016年6月のお知らせ

金毘羅大芝居

金毘羅大芝居

5月初め・・初夏の風がゆっくりと流れています。「ちりん・・ちりん・・」。四国88か所巡礼のお遍路さんの音色が、風の中から聞こえてきます。弊社は81番札所の(しろ)峯寺(みねじ)の麓に位置します。驚きました。4人の外国から来られた方たちが、白装束に身を包み歩いています。英語で話されています。

香川県の西部の琴平町、ぞう頭山ずさんの中腹に鎮座する刀比とひぐう。讃岐の私たちは、「こんぴらさん」と呼んでいます。象頭山が瀬戸内海を航行する船の目印となっていたことから、「船の守り神・農業の神」として祀られてきました。現在も、船の進水式を祝う際、安全な航行を願って、金刀比羅宮を参拝されることを聞きます。

江戸時代、伊勢神宮への「お伊勢おいせ参り」に次いで、「金毘羅こんぴら参り」は人気で、多くの参拝者で賑わいました。人々が集まるところには、「お芝居」に代表される娯楽が自然と栄え、興業の度に仮小屋を建てお芝居を楽しみました。天保6年(1835年)、高松藩寺社より許可を得て、常設の芝居小屋が建てられ、「金毘羅こんぴら大芝居おおしばい」の名は全国に知られるようになりました。

時は流れ、人々の娯楽の形も変わります。金毘羅大芝居小屋は映画館となり、所有者も変わり「金丸座かなまるざ」と改名されました。「興業」という娯楽は衰退し、芝居小屋は廃館に追い込まれます。でも、「船の神さま」は金毘羅大芝居小屋を見守っていました。昭和45年(1970年)、「日本最古の芝居小屋」として、江戸末期の劇場建築を研究するうえで重要であると評価され、国の重要文化財の指定を受けました。

名称も「旧金毘羅きゅうこんぴら大芝居おおしばい」と改名ました。4年の移築復元工事を経て、昭和60年(1985年)、江戸の空気を伝える「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が始まりました。毎年4月に開催され、今年で第32回「こんぴら歌舞伎」を迎えました。前日には、紋付・袴姿の歌舞伎役者が人力車に乗り、町内を廻る「お練りおねり」が放映されました。ファンの歓声に囲まれ、身動きできません。

今回、「棚から 牡丹餅ぼたもち」のような機会に恵まれました(笑い・・)。友人がお母さんのために購入していた、こんぴら歌舞伎大芝居のティケットが、私に巡ってきました。正直、私にとって「敷居が高いかなぁ・・」と不安でした。しかし、かすりの着物姿の「お茶子おちゃこ」さんたちの笑顔に迎えられて、私の気持ちは直ぐに和みました。こんぴら歌舞伎大芝居は、琴平町商工会青年部員とお茶子さんのボランティアにより支えられています。お茶子さんは席への案内・プログラムの販売・お掃除を担当します。

舞台近くの花道はなみちに「スッポン」と呼ばれる切り穴(0.8m×0.6m)があります。舞台の下に通じていて、井戸や池に見立てたり、役者の出入りや早変わりなどに使われます。先日、香川県のテレビ・ニュースで、ボランティアの方たちの活動が紹介されました。「スッポン」の舞台装置は、舞台の下で役者が待機して、合図とともに5人の男性が人力で上に動かし、役者は舞台の上に現れます。商工会青年部員の方が、仕事の合間を縫って、このスッポンの操作を引き受けています。

女形姿の中村なかむらせんじゃくさんが「僕が膝を立て始めたら、上に動かしてください」と、打ち合わせをしています。「僕・・?」。ふと、微笑んでしまいました。ちなみに、「スッポン」という名前は、(亀の仲間である)スッポンが首を出す様子から、名付けられたそうです。芝居小屋内部の三方には「明かり窓」があり、自然光が入ります。朝や夕暮れの雰囲気を、明かり窓の開閉によって演出します。これも、ボランティアの方がされています。来月は、演目についてご紹介いたします。

6月のお休みは、18日(土曜日)そして日曜日です。

夜、「かえる」の鳴き声が聞こえてきます。
梅雨の季節が近くなりました。
おからだ、大切になさってください