2017年1月のお知らせ

m201701新年明けまして おめでとう ございます。

今年も皆様にとって、ご健康で穏やかな時間にあふれる毎日でありますように・・。

年始のお休みは、ゆっくりと過ごされましたでしょうか。ここ数十年来、香川県では、丸亀市の猪熊(いのくま)(げん)一郎(いちろう)美術館、坂出市の東山(ひがしやま)(かい)()せとうち美術館、高松市沖に位置する直島の地中美術館など、多くの美術館が開館され美術への関心が広がっています。私自身、「この絵画は、何故この美術館に所蔵されているのだろうか・・?」という疑問を持つようになりました。

パリのルーブル美術館に展示されている絵画「モナ・リザ」。作者のレオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年、イタリア、フィレンツェ近くのヴィンチ村で生まれ、1503年頃に「モナ・リザ」を描きました。なぜ、「モナ・リザ」はフランスにあるのでしょうか!?14世紀~15世紀にかけて、イタリアを中心に「古代ギリシャ・ローマの優れた古典文化を学び直しましょう」という「ルネサンス(再生)」運動が誕生しました。「自由な発想で理性・感情・物事を考えましょう」という運動です。

フランス中部から大西洋に注ぐ全長1000km余りのロワール川沿いに、15世紀、歴代の君主・貴族たちが城館を建て、当時の首都はトゥールTour市におかれました。美術・文芸の発展に趣をおく国王フランソワ1世(1494年~1547年)はダ・ヴィンチとの対面に感激し、フランスへと招待します。ダ・ヴィンチは気に入った3枚の絵画を革製の肩掛けかばんに入れ、ロバの背に乗りアルプス山脈を越え、アンボワーズAmboiseの街に到着しました。この3枚の絵画うちの1つが「モナ・リザ」でした。当時、64歳のダ・ヴィンチにとって体力的に厳しい旅だったと思いますが、周囲の景色や時間は「ゆったり」と流れていたのでは・・と想いを馳せます。

国王はダ・ヴィンチに「画家・技師・建築家」の称号を授け年金を支給し、手厚く保護しました。その頃、ダ・ヴィンチの右腕の自由は利かなかったそうですが、幸いにも「左きき」であったために多くの作品を残し、灌漑用水路や城の設計案を考えました。国王は何よりもダ・ヴィンチから話を聞くことを楽しみにしていました。アンボワーズ城からダ・ヴィンチの住居「クロ・リュセ」館の地下室まで600mの秘密の地下道を造ってしまったほどです。

初秋、最晩年のダ・ヴィンチが過ごしたアンボワーズの街を訪ねました。「クロ・リュセ」の館は公開され、併設の公園では、ダ・ヴィンチの設計図に基づき、当時の資材を用いて再現された機械が展示され、私たちは直接、触れることができます。例えば、「水」を高い場所に汲み上げる装置・重い石柱を移動させる装置。ダ・ヴィンチの時代の発明ですから、もちろん「手動」です。子どもと大人たちの笑い声が聞こえてきます。公園を歩いていると、ダ・ヴィンチの優しい、人思いの人柄が伝わってきました。

後日、ロワール川のウドンOudon市と香川県との支援により、「うどん」に焦点をあてた日仏文化交流イベントがウドン市のウドン城で開催された記事を読みました。フランスの方に尋ねました。「Oudon、うどんと発音するのですか?」。「そうそう・・ウドン」。12月10日、高松市で開催された「全国のご当地うどんが味わえる大会」では、フランスの「ウドン城」の観光PRブースも紹介されました。余談ですが、15世紀の首都であったトゥール市と高松市は姉妹都市です。モナ・リザから始まり、ダ・ヴィンチ、トゥール市、アンボワーズ、ウドン市 そして「讃岐うどん」と、不思議な「つながり」を感じます。ダ・ヴィンチが「讃岐うどん」を食べたら、なんて言ったでしょう!?「セ・ボン・・美味しい!!」(笑い・・)

1月のお休みは、1~4(年始の休日)・9日(成人の日)・21日(土曜日) そして日曜日です。

ベトナムからの研修生「ナン」から、「ごけんこう(健康)とごたこう(ご多幸)をおいのり(お祈り)します」と声をかけられました。一生懸命、練習したことが伝わってきます。おからだ、大切になさって下さい。