2017年8月のお知らせ
文月(7月)中旬、会社の周囲で「蝉」が鳴き始めました。暑さに負けず、すごい勢いで鳴いています。ふと、地面を見ると1cmくらいの小さな穴が、ぽつぽつ・・と点在しています。蝉が地面から出てきた後の「穴」のようです。木々の葉には、蝉の「抜け殻」がくっついています。自然の力って「すごい」ですね。
香川県の西部に位置する三豊市。香川県と愛媛県を結ぶJR予讃線の託間駅にて下車し、フェリーで約20分の瀬戸内海に「粟島」が浮かんでいます。江戸時代後半には北前船(日本海や北海道の港から、瀬戸内海を経由して大阪へ米・魚などを運んだ船)などの海運業が盛んでしたが、明治維新後、大型汽船の登場により、大型汽船操縦の「免許」が必要になりました。
粟島郵便局初代局長、中野寅三郎氏は、船で生計を立てていた島民のために私財を投じ、粟島海員養成補習学校を設立しました。1897年(明治30年)、日本最初の海員養成学校、「国立粟島海員学校」が設立され、1987年(昭和62年)廃校になるまで、多くの「海の男たち」が巣立って行きました。現在、海員学校の建物は「海洋記念館」として保存され、昔の船舶機器・模型などが展示されています。島の周囲は約17km、約300人の方が住んでいます。
平成25年に開催された「瀬戸内国際芸術祭」のとき、私は初めて粟島を訪れました。現代美術家の久保田沙耶さんにより、「旧粟島郵便局」は芸術作品のひとつ「漂流郵便局」として、生まれ変わりました。ブリキ製の「漂流私書箱」に、全国から届いた手紙や葉書を入れ、来場者に自由に見て頂く・・というものです。私の第一印象は、「漂流郵便局名って、不思議な響きのある名前だな。誰かの書いた手紙を読んでいいのかしら・・」というのが本音でした。
しかし、私の「気がかり」は直ぐに消え去りました。葉書を読みながら、「差出人の方たちが葉書を書くことにより、自分の想いに向き合い、そして明日への歩みの糧にされている」ことを感じたからです。行方不明になったワン君・バブちゃんへの葉書は「家からいなくなって・・どこにいるの?ビスケットをいっぱい用意しているよ」。その後、バブちゃんは家に帰ってきました。良かったですね。
19年前、(当時11歳だった)息子さんを亡くされたお父さまが、息子さんに宛てた葉書。昭和20年夏の終わり、当時、国民学校5年生だった女の子が、予讃線で乗り合わせた軍服姿のおにいさんに宛てた、「食料不足の時世の中で、白いお米の三角おにぎりを手渡して下さった」ことへのお礼の葉書。小学5年生よりお世話になっていた「眼鏡」への葉書は、「今年からは、私の机の中。おつかれさまでした」と書かれています。M高校昭和37年卒同窓会の葉書には、「住所不明の方。天国の友よ、当日は全員UFOで来るように・・」。
漂流郵便局には2人の局員が実在します。現代美術家の久保田沙耶さんと中田勝久さんです。中田さんは粟島郵便局10代目の局長さんで45年間勤務された後、1998年に退職されました。そして、15年ぶりに漂流郵便局として建物が甦り、漂流郵便局長として勤務されています。当初、400通ほどの葉書は、2015年の暮れには1万通を超えました。芸術祭後も漂流郵便局は、「届かぬ思いを預かります」と毎月第2・第4土曜日に開かれています。2016年1月には、イギリス・ロンドンに漂流郵便局の分局が開かれました。
〒769-1108 香川県三豊市託間町 粟島 1317-2 漂流郵便局留め
「漂流郵便局」という消印を押す、中田局長さんの笑顔が素敵です。「漂流郵便局が、この世に存在してよかった~」と思わず微笑んでしまいました。
8月のお休みは、11日(海の日)13日・14日・15日(お盆休み)・19日(土曜日)・25日と26日(社内旅行)そして日曜日です。
郵便配達の方から、手紙を受け取りました。夏の太陽をいっぱい浴びた郵便物は、暑そうです。おからだ、大切になさって下さい。