2018年1月のお知らせ

m201801明けまして おめでとう ございます

今年も皆様にとって、ご健康で心穏やかな日々に溢れていますように・・。心に残るお話があり、いつか、お話したいと思っていました。「ソウルの街は活気で溢れ、訪ねる度に元気をもらうんや!」と同僚は、福岡から船を利用して、しばしば韓国を訪ねていました。ある日、韓国の友人から、皮のジャンパーをプレゼントされました。同僚は、「こんな高価なものを頂くなんて・・なんのお礼もできません」と言いました。韓国の方は、「私に、お礼のお返しをする必要はないですよ。他の方にお返しをして下さい」と言われたそうです。私はこの話を聞いたとき、単に「品物の受け渡し」ではなくて、「気持ちの受け渡しの話」として理解しました。20年ほど前に聞いた同僚の話は、今も私の心に残っています。

去年、ある雑誌のコラム「恩送りおんおくり」が目に留まりました(恥ずかしながら、初めて聞いた日本語。どういう意味なんだろう・・と思いながら読みました)。アメリカの作家、キャサリン・ライアン・ハイド著のPayペイ itイッツ forwardフォワードの物語。中学1年生の社会科の授業でシモネット先生は、「いま、住んでいる世界をより良くするには、どうしたらいいでしょう?」という課題を、生徒たちに与えます。シモネット先生はいつも、生徒たちに解りやすい言葉で説明します。ほとんどの生徒たちは子供らしい考えでしたが、少年トレヴァーは異なりました。自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなくて、(関わりのない)別の3人に善意の想いを伝えることです。

トレヴァーは、ホームレスの女性の更生への協力・クラスのいじめられっ子を助けること・シモネット先生の幸せを考えます。「善意の行い」は次から次へと、連鎖的に広がると信じたからです。私自身、海外を旅したとき、電車の切符を自動販売機で購入しようと、硬貨を入れました。ところが、販売機は作動しないし、英語で書かれた説明も理解できません。突然、隣にいた女性が硬貨を入れて、切符は出てきました。その方は「あっ」という間に立ち去っていきました。お礼の言葉も言えないままに・・。皆さんも「同じような思い出」があるのではないでしょうか。

作者のハイド自身、夜、運転中に車が故障し、見ず知らずの2人の男性が助けてくれた経験から、物語のヒントを得ました。恩送りでは、親切にしてくれた相手に恩返しをするのではなくて、他の人に見返りを求めることなく、善意を施すことを意味します。日本では、江戸時代から「恩送り」の考えがあったそうです。驚きました。1963年3月、東京大学の卒業式にて、かや誠司せいじ総長が「小さな親切」の重要性を話され、「小さな親切運動」が始まりました。小学生だった私は、「紙くずを捨てないように。ごみを拾いましょう。お年寄りや小さな子供に座席を譲りましょう」と日常生活の中で教えられました。自分がかつて受けた「恩」を、次の人に送るという「恩送り」の言葉と同僚の逸話は、20年の時を経て結びつきました。

1月のお休みは、元旦~4日・8日(成人の日)・20日(土曜日)そして日曜日です。

12月上旬、香川の建設会社の工事現場で働いていたヴェトナム青年、トゥィが3年間の勤務を終え、母国に帰国しました。「日本での印象や思い出は、なに・・?」と尋ねると、「日本人の人たちは、優しい・・」との即答。暑い日、戸外での仕事は大変だったと思います(暑さのために倒れたことも、あったそうです)。「松田聖子さんの歌が好き」と、恥ずかしそうな笑顔。出発の前日にも「日本語検定試験」を受ける彼の熱意に、元気を頂きました。トゥィ、ありがとう!! 2018年が動き出しました。おからだ、大切になさって下さい。