2018年9月のお知らせ
暑い夏でした。汗を流しながら、日焼けした顔に笑みを浮かべながら、配達の方が荷物を届けてくれます。ある日、外気温は39度を示していました。これから、地球はどうなるのでしょう・・と心配です。
8月は、お盆のお休み、甲子園での第100回全国高校野球選手権大会、終戦記念日、花火大会など、様々な想いに包まれた季節でした。ある日、電話で米寿を迎えた方から、「昭和20年代のお話」を聞きました。
「終戦後は、とにかく、みんな生きることに必死やった。戦争は(したら)いかん」との力強い言葉。偶然、見かけた1枚の白黒写真が心に残ります。10歳くらいの男の子が、小さな弟を背中に負い、視線は真っすぐに正面を見つめ、「気を付け」をした姿勢です。弟さんは眠っているのでしょうか?頭が後方に、うなだれています。
後日、この写真は、ジョー・オダネル(Joe O ‘Donnell 1922-2007)により撮影された写真集「トランクの中の日本」に納められている事がわかりました。オダネルは1942年、アメリカ合衆国海兵隊に志願し、1945年9月、占領軍のカメラマンとして広島・長崎、空爆による日本の被災状況を記録する任務を与えられ、終戦直後の日本へ来ました。7か月間、日本各地を撮影し、1946年3月、アメリカへ帰還します。
除隊後、私用カメラで撮影したフィルムを自宅に持ち帰り、二度とトランクの蓋を開けることはないだろう・・と思いながら、フィルムを仕舞いました。オダネルは日本での悲惨な光景を忘れたかったからです。オダネルは福岡の街で、西洋風のコートに帽子をかぶった風変わりな老人を見かけました。驚いたことに、流暢な英語を話されます。その方はアメリカに住んでいて、日本にいる家族を訪ねている間に戦争が始まり、アメリカに帰れなくなりました。老紳士はオダネルに、「今の日本のあり様をしっかりと見ておき、アメリカの人々に語り継がなくてはいけません」と言いました。オダネルはネガを入れる茶封筒に急いで、メモを記しました。
幼い少年の写真は、長崎で撮影されました。背負われて(眠っていると思っていた)幼い弟は、息絶えていました。少年は弟を見送るために、その場所にいました。少年は気を付けの姿勢で、背筋を伸ばし、じっと前を見ていました。オダネルはカメラのファインダーを通して、彼を見守りました。「彼の肩を抱いてやりたかった。どのように、生きているのだろうか」と記しています。
オダネルは「もう、逃げるのはよそう、自分の気持ちに正直になろう」と思い始め、トランクの鍵を開けます。そして、児童文学作家のジェニファー・オルドリッチが、オダネルからの「聞き書き」をまとめて、1990年からアメリカで、1992年から日本での写真展が始まりました。「過去をしっかりとたどることが、癒しにつながる」と考えたからです。
2017年の暮れ、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は、「口を固く結び、息絶えた幼子を背にした直立不動をとる少年」の写真を、関係者に送りました。フランシスコ法王は「写真をみて胸を打たれた。このような写真が千の言葉より多くを語ります。だから、分かち合いたいと思います」と言われました。日本のカトリック教会は教会にて、このカードを希望者に提供しています。写真の裏面には、「戦争がもたらすもの 教皇フランシスコ」と記されています。少年の真っすぐに前を見つめる眼差しから、力強い決意と未来を感じました。
9月のお休みは、8日(土曜日)・17日(敬老の日)・24日(秋分の日の振り替え)そして日曜日です。
日曜日の暑い昼下がり、路地裏を歩いていると、「ちりりん・・」と軽やかな「鈴の音」が聞こえてきました。見上げると、2階の窓から、風鈴が風と共に揺れていました。おからだ、大切になさって下さい。