2018年10月のお知らせ

夕暮れの時刻が早くなりました。讃岐では6時頃、夜の帳に包まれます。私は、初秋の「夕暮れどき」が好きです。汗を流しながら働いた後の、「ほっ」とした「達成感」の空気に似ているからです。

8月末、社内旅行で、広島県の福山市そして、岡山県の蒜山ひるぜん高原を訪ねました。坂出から瀬戸中央自動車道を走ります。座席が高いバスから眺める瀬戸大橋や、瀬戸内海に浮かぶ島々の風景は、いつもと異なった印象を受けます。岡山県倉敷市にて山陽さんよう自動車道に入り、広島県の南東部にある福山市まで1時間30分の道のりです。街の中心にそびえ立つ「福山城」は、元和5年(1619年)、徳川幕府の譜代大名であった水野勝成により建てられ、幕末まで福山藩の政治の中心として栄え、現在の福山市の基礎を築きました。

昭和20年(1945年)8月、福山空襲により天守閣を焼失しましたが、昭和41年(1966年)市制施行50周年の記念として復興再現されました。なぜ、「福山城」が建てられたのでしょうか!?海に隣接している福山は、瀬戸内海航路のほぼ中央に位置し、重要な拠点だったからです。穏やかな瀬戸内海は、様々な歴史を見続けている・・と想いを巡らせました。(残念ながら今回、訪れることはできませんでしたが)「ともうら」地区には江戸時代の港湾施設が残っています。「常夜じょうやとう」は「とう籠塔ろどう」とも呼ばれ、高さ10mもある石造りの燈籠で、航海安全の願いを込めるとともに、船の出入りを誘導し、夜は灯台の役割を果たしました。以前、福山の知人より、常夜燈の写真を頂きました。夕暮れの風景を背景に、堂々とそびえ立ち、繊細な灯りを照らしている情景が印象に残っています。

1826年、オランダ商館の医師、シーボルトは「江戸参府記行」の中で、「鞆の浦は、活気に溢れた町」と記しているそうです。シーボルトは文政6年(1823年)、オランダ商館の医師として長崎に到着しました。当時、オランダ商館は将軍家に謁見するために、江戸と長崎を往復する「江戸参府」が毎年、行われていました。シーボルトは江戸への道中、見たこと・調べたこと・感じたことなどを日記に書きました。これが江戸参府記行です。船着き場には、「雁木がんぎ」と呼ばれる石階段が造られ、潮の満ち引きを心配せずに、積み荷の上げ下ろしができるように考案されました。

福山自動車時計博物館は、クラシック・カー、江戸時代の和時計、古い電化製品などを展示しています。弊社の事務所には「ボンボン時計」が働いていて、1時間ごとに、「ボ~ン ボン」と時刻を知らせてくれます。ボンボン時計の音色は気持ちを穏やかにしてくれます。館内では、車種により実際に座席に乗ることもでき、自動車に興味のある同僚は、「すごい!」と溜息をついていました(笑い・・)。「ボンネットバス」って知っていますか!?そう・・前方が前に突き出ているバスです。

国内に4台のみ残っている1958年式の「日野のボンネットバス」に乗りました。実際に、福山市内を走行してくれます。冷房設備はもちろん、ありません(笑い・・)。方向指示器は(明かりが点滅するのではなくて)、赤色の「しゃもじ」のような指示器が、右折するときは、右側の指示器が水平になり、曲がり終えると垂直方向に下がって、隠れます。かわいい指示器です。ボンネットバスに揺られ、汗を拭きながら、笑いに包まれた午後でした。ボンネットバスの前で、全員で記念撮影。パチリ!!明日は、蒜山高原に出かけます。

10月のお休みは、8日(体育の日)・20日(土曜日)そして日曜日です。

近所の方から、新聞紙に包まれたプレゼントを頂きました。中から、ほのかな「あたたかさ」が伝わってきます。「焼き芋」のプレゼントです。叔父は、松葉で焼いた「さつまいも」が、いちばん美味しい・・と言ったことを思い出しました。おからだ、大切になさって下さい。