2020年3月のお知らせ
神戸市のお客様からの葉書を読みながら、思わず微笑んでしまいました。当年83歳、男性老人です。食事の用意はすべて妻まかせ。何一つできないのですが、唯一、貴社の小麦粉で「パン」を作るのが例外で、楽しいです。大勢の人に食べて頂いて、「もちもち感」「かみしめ感」の感想で大好評です。お友達とパン🍞を召し上がっている情景を想像しました(笑い)。
2020年東京オリンピックまで半年。3月26日、聖火リレーが福島県から出発します。朝日新聞の「聖火がまちに」というコラムは、聖火が受けつながれていく順番に、各都道府県のトーチを掲げる走者の想いを紹介しています。福島県葛尾村の走者は佐久間亮次君。父親の哲次さんは100頭余りの牛を育てる酪農を営んでいましたが、東日本大震災(2011年)を境に生活は一変しました。当時、6歳だった亮次君はお母さんと一緒に群馬県へ避難し、お父さんは福島市内から葛尾村の牧場に通いました。十分な食べ物や水を与えることができず、成牛や小牛たちは倒れ、全ての牛たちを手放します。
仮設住宅の完成後、家族は一緒に住み始めますが、お父さんは「すべてを失った酪農を再開するべきか・・!?」と悩んでいました。亮次君が5年生のとき書いた書初め「夢 らくのうかになってやる」の「黒い大きな文字」を見て、お父さんは「子どもたちが戻れる牧場をつくろう!!」と決心します。現在、牛たちは115頭に増えました。「7年間の空白を、一つずつ埋める毎日だった」そうです。3月26日、聖火は葛尾村の中心部を走り、亮次君の通う小中学校の運動場も1周します。牛たちとお父さんの傍らで写真に納まっている亮次君の笑顔は恥ずかしそうです。
4月8日、聖火は三重県志摩市で40年間、素(す)潜り(もぐり)で漁をする「海女さん」、三橋まゆみさんに渡されます。海女さんの潜水時間はどれくらいでしょう!?約「50秒」だそうです。自然なる「海」とともに生きて、「海の森」を大切に守ってきた海女さんたちの平均年齢は65.7歳だそうです。
4月10日、聖火は和歌山県串本町に到着します。19世紀末、オスマン・トルコ帝国は明治維新後の日本と平等条約締結を結ぶために、オスマン・トルコ軍艦エルトゥール号(乗員、約600人)で来日しました。その帰途、台風により串本町沖で岩礁に激突し、生存者わずか69名という惨事でした。そのとき、串本町の人たちが救助や介護に携わりました。トルコの小学校の歴史教科書は、子どもたちに「エルトゥール号の事件と救助活動」の事を教えているそうです。1985年のイラン・イラク戦争時、イラクのフセイン大統領は「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を無差別に攻撃する」と声明を発表しました。
イラン在住の日本人はテヘランの空港に向かい、出国を試みましたが、どの飛行機も満席で搭乗することができません。そのとき、トルコの救援機2機が、日本人215名全員を救出しました。残された時間は1時間でした。どうして、トルコ共和国の救援機が来てくれたのでしょうか!?エルトゥール号の際、日本人の献身的な救助活動への感謝の気持ちが、今もトルコの人々の心に根付いているからだそうです(知りませんでした)。串本町の国際交流員デュルナ・オズカヤさん(トルコ出身)が聖火ランナーを務めます。
1964年東京オリピックの聖火が香川県に来た時、「聖火を見にいくぞ!」という父親の一言。雨降りの中、バイクの後ろに乗って高松まで行きました(ヘルメットの着用はありません‥笑い)。詳細な場所は憶えていませんが、雨の中で灯されていた「聖火」をはっきりと覚えています。私にとっては、「海外の空気」を初めて感じた瞬間でした。
3月のお休みは、3月20日(春分の日)・28日(土曜日)そして日曜日です。
4月19日には、「聖火」が坂出市にきます。中学生の岩中楓(かえで)さんが聖火ランナーとして走ります。おからだ 大切になさって下さい。