2020年9月のお知らせ

お盆を過ぎる頃、蝉たちの鳴き声が小さくなっていることに気づきました。秋の静かな訪れを感じた「ひととき」です。高松市内の交差点の地下道に、展示の広場があります。友人曰く、自治会の方たちが季節に応じて、展示物を変えるそうです。8月は、終戦直前の長崎や広島の写真が展示されていました。戦争がもたらす光景に、あらためて心が痛みます。

先日、NHKテレビ番組、日曜美術館「無言館(むごんかん)の扉 語り続ける戦没画学生」が放映されました。戦争により、描きたいという願いを絶たれた画学生の作品が収集された無言館(長野県上田市)は1997年に開館しました。画家、野見山暁治(ぎょうじ)さんと窪島(くぼしま)誠一郎さん(館主)のお二人が全国各地を尋ね歩いて作品を集めました。「無言館」は、『展示されている絵画は何も語らず「無言」ですが、見る人々に多くのことを語りかけます』という意味から命名されました。それぞれの絵画に、それぞれの物語があります。絵筆を持ったまま戦地に赴き、「必ず生きて帰って、この絵の続きを描きますから」とモデルの方に言い残したまま、フィリピンで戦死した画学生(享年27歳)。

2006年、丸亀市の猪熊弦一郎美術館にて催された「無言館展」では、香川県出身の画学生が「坂出港」を描いていました。夕暮れ時でしょうか!?紅色の染まった空の色から、「重苦しい空気」を感じました。こんな坂出港を想像したことがありません。画学生は何を想いながら、「坂出港」を描いたのでしょうか。無言館では、お客様による感想が書かれています。窪島さんが朗読します。「絵画のモデルになった女性が50年ぶりに、絵画に会いに来られました。残された最後の瞬間まで、命を懸けて描いた画学生たちの生きた証を、私たちの生きる糧にしたいと思います。画学生が描いた日々は、人生の中で濃密な時間でした」。1942年、招集令状を受けとり、満州に赴いた野見山暁治さんは、今年100歳になられます。

梯(かけはし)久美子著の「百年の手紙」を紹介しましょう。戦時中、子役スターだった中村メイ子さんは、特攻基地への慰問に行きました。付き添いであるメイ子さんのお母様は、兵士たちから「基地の外で投函して下さい」と、手紙を託されたそうです。恋人なのか、お母さまなのか、女性の名前の宛名が多くありました。中村メイ子さんは、大事そうにポストに投函されていた「お母様の姿」が忘れられないそうです。

ある特攻兵の方がご両親に宛てた、昭和20年3月26日付の手紙。でも、この手紙はポストに投函されたものではありませんでした。面会に来たご両親に、お弁当箱の底に油紙で包んだ日記帳をしのばせ、その上からご飯をかぶせて渡しました。その日記帳の中にご両親宛ての手紙が挟まれていました。

昭和20年(1945年)3月、鹿児島県の知覧(ちらん)高等女学校の生徒は、知覧基地の特攻兵のお世話をするようになりました。食事の用意・兵舎の掃除・洗濯・つくろいものなど。当時、親御さんたちは知覧に行ったことも知らされず、出撃された後も連絡されませんでした。(本来は禁じられていたと思いますが)女生徒たちは、担当の特攻兵のご両親の名前と住所を聞いていて、出撃された後、「○○さんは、何月何日に飛び立たれました」とご両親宛てに手紙を書きました。その時の「ご様子」や「何を語られたか」を伝えたかったからです。ある女性徒は14歳だということを知り、驚きました。気丈な人柄であると想像します。

ある戦争経験者の方の深く重みのあるお言葉です。『戦争というのは、それを記憶した人がいなくなった頃に、また起こるんだ』。教科書から歴史の事実を学ぶことはできますが、人々の想いを感じることはできません。明治生まれの父親に「戦争の話を、もっと聞いておくべきだった」と最近、思います。おからだ 大切になさって下さい。

9月のお休みは
9月12日(土曜日)・21日(敬老の日)・22日(秋分の日)そして日曜日です。