2021年2月のお知らせ

1月下旬、寒波が日本列島をつつみ込みました。歩いていると、「しゃりしゃり」とかすかな音が聞こえます。道路の表面が凍っているようです。プードル犬の「てる」ちゃんは、紺色の洋服を着ています。

お正月の風物詩のひとつである「箱根駅伝」。「駅伝が生み出す空気」に惹かれます。何故でしょう!?走っている選手たちの表情、特に選手たちが「襷(たすき)」をわたす瞬間の表情が好きだからだと思います。1917年(大正6年)4月、第一次世界大戦の最中、日本で最初の駅伝「東海道五十三次駅伝徒歩競争」は、日本の首都が京都から東京に移ってから、50年目になるのを記念して行われました。京都の三条大橋を出発して、東京の上野不忍池までの23区間、約500km。「赤の襷」をかけた名古屋組、「紫の襷」をかけた関東組。選手たちは昼夜、走り続けました。この時、競技名「駅伝」が採用されました。

「駅伝」の名前の由来は、江戸時代の「伝馬制(てんませい)」からヒントを得たそうです。関ヶ原の戦い(1600年)後、徳川家康は全国の街道の整備を始めます。例えば、30里(約16km)ごとに「駅」という53の中継所を設置しました(東海道五十三次の基礎です)。「駅」は旅人に宿を提供し、荷物を運ぶための人や馬を集めておいた「宿場」の事です。手紙や荷物を出発地から目的地まで、同じ人や馬が運ぶのではなくて、宿場に到着する度に、人や馬を交替して荷物を運びました。この仕組みが「伝馬制」と呼ばれています。江戸を出発して、初めての宿場は「品川宿」(現在の品川区)だそうです。

長い旅をする人たちにとって、宿場で働かれる人たちの心配りは「安らぎのひととき」であったと思います。宿場で、公認されていない働き手である「雲助(くもすけ)」。荷物の運搬や駕籠(かご)かきなどの仕事をしていました。「足元を見る」という言葉は、雲助が通行人の草履の状態を見て、高い値段を要求する行為から発生したそうです。「蜘蛛の子」のように、どこからともなく集まり、散らかしていなくなる・・という事から名前がつけられたとも・・(何かしら、微笑んでしまいます)。しかし実際、雲助たちの間では「規律を乱せば、仲間から追い出される」風潮があったそうで、雲助は心優しい人柄でした。宿場に残る案内看板は、当時の様子を伝えています。「箱根越えは、街道の中で一番の難所で、女性や大きな荷物を持っている人たちは、雲助のおかげで道中を安心して歩くことができました」と記しています。

静岡県三島市に、「雲助徳利(とっくり)」という方の石碑があります。この男性は武家の出身でしたが、お酒が大好きで、雲助になりました。いつしか雲助の頭役になり、貧しい人たちにお金を与えたり、秩序を乱す仲間を取り締まったりして、周囲の人たちから慕われました。「義理と人情」が伝わってくる逸話ですね。箱根駅伝の中継を思い出しながら、「選手たちと雲助たちの姿」が重なりました。「馬と人との絆」により支えられた伝馬制とともに、駅伝は受け継がれてきました。「駅伝」という言葉は、日本書紀にも記されているそうです。京都の三条大橋には「駅伝発祥の地」の碑が、上野の不忍池には「駅伝の碑」があります。

2月のお休みは、2月6日(土曜日)・11日(建国記念日)・23日(天皇誕生日)そして日曜日です。

2月2日は「節分」。「ふくはうち おにもうち」という絵本。題名を読んで、思わず微笑んでしまいました。冬の夜、戸口で「寒いよう さびしいよう」と言っている鬼たちを家の中に招き入れます。鬼たちを見て逃げ出す「福の神」に女将さんはしがみつき、「お酒」を勧めます。気が付けば、みんなで踊っている・・という物語です。誰もが「怖さやさびしさ」から逃げたいけれど、その後には必ず、「穏やかな日々」がやってくることを感じさせてくれます。春を待ちましょう。おからだ大切になさって下さい。