2021年10月のお知らせ
9月に開催された「東京パラリンピックは身近に感じたよ」という声を、たくさんの方から聞きました。160余りの国と地域から、4403人のパラアスリートたちが東京に集まりました。私は、開会式の選手たちの笑顔に出会えただけで、たくさんの「勇気と元気」を頂きました。
イギリスのロンドン郊外のストーク・マンデビルStoke Mandeville病院には、第2次世界大戦で脊髄を損傷した兵士達のためのリハビリ専門科がありました。ドイツ出身であるルートヴィヒ・グットマン(1899 – 1980)医師は兵士たちを治療しながら、「身体と精神のリハビリテーションのために、スポーツが最適である」と考えました。ロンドン五輪大会の開会式が行われた1948年7月29日、16人の入院患者を集めてアーチェリー大会が開かれました。この大会が「パラリンピックの発祥」とされています。「失ったものを数えてはいけません。残されたものを最大限に生かしなさい。私の医療経験から成し遂げたことがあるとしたら、障害者のリハビリにスポーツを取り入れたことだと思います」と、患者たちを励ましました。
車いす同士が、激しくぶつかり合う「バスケット」試合。車いすが倒れても、素早く起き上がる選手たち。「口」で弓を引くアーチェリーの選手。両腕が不自由な水泳選手は、下半身を上下に動かして進みます。特殊な義手と義足をつけ、車いすフェンシングに挑む選手。ラジオのアナウンサーは、「選手たちが、どのような経緯でパラアスリートに挑戦したか」を語ります。生まれながらに障害を持った選手。交通事故により障害と向き合った選手。国内の紛争により、目の前で砲弾が爆発して障害を伴った選手。4403人の選手、一人ひとりが、4403の物語を紡ぎだしていると思いました。
視覚障害マラソンの道下美里選手は、26歳で入学した盲学校で、「音源走(おんげんそう)」という体育の授業を受けました。音のする方向に向かって走る短距離走です。目を閉じて、少しでも歩くことを想像してみて下さい。私は怖くて、1mほどしか歩けませんでした。最終日のマラソン中継を見ながら、選手と一緒に走る「伴走者」の方の気配りに感心しました。両者は「テザー」と呼ばれる30cmのロープ(両端に輪がついています)を握りしめながら、走ります。伴走者は給水ボトルを手渡したり、時計を見たり、周囲の状況を伝えながら一緒に走ります。視覚障害女子200mの予選レースの後、競技場で素敵な光景が映し出されました。
西アフリカの大西洋に浮かんでいる島「カーボ・ベルデ」共和国のペレイラセメド選手が、伴走者であるベイガさんからプロポーズの指輪をプレゼントされました。大会の後も、「人生のパートナーとして、二人三脚で走り続ける」素敵な笑顔でした。閉会式では、トランペット奏者であるルイ・アームストロング(1901 – 1971)が歌って有名になった「この素晴らしき世界 What’s a wonderful world」が合唱されました。「緑の木々が見える。赤いバラの花々も。青い空が見える。白い雲も。・・・そして、ひとり思う。なんて素晴らしい世界でしょう」。分かり易い言葉の中に、歌詞の奥深さを感じます。
10月のお休みは、10月9日(土曜日)10月23日(土曜日)、そして日曜日です。
紫色の小さな「玉」をたくさん咲かせる花を見かけました。「紫式部(むらさきしきぶ)」という名前です(本当です。笑い)。おからだ 大切になさって下さい。