2024年4月のお知らせ

3月は、天気が変わりやすい季節。風が強い日、瀬戸大橋を走るJR瀬戸大橋線は、運休していました。「待ち合わせ」は、何処で、どのような方法で連絡されますか。携帯電話が普及している今、こんな質問をして笑われるかもしれませんね。半世紀ほど前、坂出駅舎の構内に「伝言板」があったことを思い出しました。黒板に、チョークで「1行」程度の伝言を書きます。30人ほどは書くことができたでしょうか。

東京の渋谷駅のシンボルである「忠犬ハチ公像」は、待ち合わせ場所として親しまれています。「ハチ公前で会いましょう」と約束しても、たくさんの人々が「ハチ公像」の前に立ち、容易に友人を見つけられなかった想い出があります(笑)。

「ハチ」は1923年(大正12年)、11月10日、現在の秋田県大舘市に生まれました。「ハチ」はなぜ、東京で生活するようになったのでしょうか?東京帝国大学(現在の東京大学)農学部で教授を務めていた「上野英三郎」は、教え子の「世間瀬千代松」から、お礼として秋田の特産品を贈りたいと言われます。上野は「秋田の子犬が欲しい」と言いました。生後、2か月の「ハチ」は「米俵(こめだわら)」に入れられ、荷物列車に乗り、大館市を出発しました。東京の上野駅まで20時間の道のりでした。ハチが上野宅で生活し始めたのは、関東大震災の翌年。震災の余震も続き、上野は衰弱していた「ハチ」と一緒に寝ながら、看病しました。

「ハチ」の日課は、上野が勤務に利用していた、「渋谷駅」への送り迎えでした。ある日、駅で待っていた「ハチ」は、上野と教え子たちと一緒に焼き鳥屋へ連れて行ってもらい、「焼き鳥のおすそ分けを頂いた」という逸話もあります。ほのぼのとした空気が伝わってきます。「ハチ」が上野と暮らし始めてから1年4カ月後、突然、上野は天に召されます。その後、「上野を駅で待つハチの日課」は10年間、続きました。

桂(かつら)離宮(りきゅう)・伊勢(いせ)神宮(じんぐう)・白川(しらかわ)郷(ごう)などの「日本美の本質」を発見した、ドイツの建築家ブルーノ・タウト(1880-1938)は、日本での滞在中に「ハチ」を渋谷駅で見かけたそうです。「人々がハチを優しくなでている」と、1934年10月31日付けの彼の日記の中で記しています。また、「ハチ」の姿を列車から見たという女性がいます。黒井(くろい)眞器(まき)さんは「ハチは、道路の右側をみて、それから左側を見て、道路を渡る前に、自動車を再び注意していましたよ」と記憶を語られています。

4月のお休みは、6日(土曜日)・13日(土曜日)・20日(土曜日)・27日(土曜日)・29日(昭和の日)そして日曜日です。

2023年11月、「忠犬ハチ公」の生誕100年を記念して、約40匹の秋田犬が渋谷駅に集合。1kmほど、「秋田犬の散歩」が行われました。秋田県大舘市の「秋田犬保存会」により企画されました。

おからだ 大切になさってください。

令和6年4月1日
木下製粉株式会社