アメリカには立派な製粉博物館があります。その名はミルシティー・ミュージアム(Mill City Museum)、ミネソタ州ミネアポリスにあります。Mill(ミル)は製粉工場のことです。ミネアポリスは、五大湖の西側、ミネソタ州東部に位置する、州最大の都市です。よって当然、州都かと思えばそうではなく、実際の州都は東に隣接するセントポールです。このミネアポリスとセントポールを併せてツイン・シティーズ(Twin Cities)と言いますが、ミネアポリスを本拠地とする大リーグのミネソタ・ツインズは、これに由来しています。

ミネアポリスは、ミシシッピ川のリバーフロント(河岸区域)にあたり、この豊富な水源を利用して、林業や製粉といった産業が発達しました。とりわけ製粉産業はその代表格で、ミネアポリスは1882年から約50年に亘り、世界における製粉産業の中心地であり続けました。そして当時の製粉工場跡を、できるだけ保存したまま、博物館にしたのがこのミルシティー・ミュージアムです。これは当時のウォッシュバーンAミル(Washburn “A”mill)の工場跡に建設され、2003年にオープンしました。ここではミネアポリスの発展、とりわけ製粉産業や水力を利用した産業の歴史を勉強することができます。

このウォッシュバーン製粉工場というのは製粉の歴史においては余りに有名なので、ここで少し説明いたします。まずAミルというのは、アルファベットの最初の文字なので、第1工場という意味です。同じ敷地内に第2、第3工場ができると、Bミル、Cミル・・・となります。そしてウォッシュバーンAミルが最初に建設されたのは1874年のことで、これは当時世界最大の製粉工場でした。しかしこのAミルは1878年、5月2日の夕方7時過ぎ、突然大爆発を起こします。これは当時、原因がまだよくわかっていなかった「粉塵爆発」によるものです。当時の製粉工場は至るところで、小麦粉が粉塵となって舞いあがり、これに引火して爆発を起こしました。

ランプが倒れたからとか、石臼がストックのない状態で、空運転したから火花が飛び散ったとか、色々言われていますが、引火の原因はよくわかっていません。この粉塵爆発の威力は凄まじく、一瞬のうちに工場全体を破壊し、14名の作業員が亡くなりました。また延焼により更に4名が亡くなり、他の5つの製粉工場も爆風で壊れてしまいました。この爆発で、ミネアポリス全体の製粉能力は、約半分になったといわれています。
そして全く新しいAミルがオーストリア人技師によって設計され、1880年には世界一の製粉工場として再稼働を始めます(しかし1881年には対岸のピルズベリーAミル(Pillsbury A mill)が世界一となります)。このAミル、最盛期には、一日貨車100輌分の小麦を製粉し、200万ポンド(900t)の小麦粉を生産し、この小麦粉で120万個のパンを焼くことができたと言われています。こうして製粉産業はミネアポリス最大の産業となります。

しかし第一次世界大戦後になると、エネルギー源は水力以外のものにシフトを始め、それに伴い製粉の中心地はバッファローといった他の地域に移っていきます。やがて機械設備は老朽化し、とうとう1965年には操業停止に追い込まれます。その後建物はそのまま放置されますが、1991年の火災で、建物の一部が崩落します。そこで1990年代後半になると、製粉工場跡地の保存活動が高まります。その結果瓦礫を撤去し、壁を補強し、外観を残したまま、その中に製粉博物館などの施設をつくり、ミルシティー・ミュージアムができたというわけです。皆さんもミネアポリスに行ったら是非、一度見学にいってみてください。