これまで見てきたように、回転運動を利用した臼は、ギリシャ人により紀元前500年頃に起こった一連の発展の中で発明されたことになっています。レバーミルの弧状運動、つまり円弧の動きがその後の回転式粉砕器が描く円運動のヒントになったことは間違いありません。
しかしストーク先生は続けて言います、「完全な回転式粉砕器とそれまでのものとの間には、驚くべき険阻な知的飛躍が存在する。これは間違いなく独創的な第一級の発明なのだ」っと。またカーウェンの言葉を引用して「このような進歩は才気あふれた技術者もしくは数学者の創造物以外ではありえない。発明者はきっとアルキメデスのような先駆者であったけれど、歴史に名を残すこともなく忘れ去られたのだろう」っと。
つまり「実用に耐えうる回転式粉砕器は、ちっとやそっとの思い付きではできないぞ」っと言っているのです。デリアンミルのように、ただ上石を直接下石の上に載っけただけでは、その間に穀物をうまく供給できず、満足に粉砕できないのは当然です。やはり上臼をきちんと支える機構があって、粉砕面の間にうまく穀物が入っていかないと粉砕できないのです。その点アワーグラスミルは不格好でしたが、リンズ(軸受け機構)によって上石は下石の上で支えられていたので、どうにか実用に耐えうる粉を挽くことができたのです。私たちは最初から、当たり前のように石臼を見ているので何とも思いませんが、先人達はこの辺りでかなり悩んだようです。
またこのギリシャ路線とは別に、ストーク先生は興味深い例を挙げています。先生が言うには「歴史を検証していると、重要な発明には往々にしてあることだが、それは異なる場所において、異なる方法で実現され、そしてその発明の完成度も異なることがある」っと。そしてこの世紀の大発明である石臼についての別の事例が、トルコ東部ヴァン湖付近にあるというのです。以下これについて少し紹介いたします。
現在のトルコ東部のヴァン湖畔には、その昔ウラルトゥ王国があり、今ではほとんど知られることのないカァルディー族が住んでいました。そしてここから発見された石臼は、ギリシャのそれとは全く別の発展過程を辿っているというのです。この石臼のすごいところは、上臼の底面には、後にリンズと呼ばれる軸受け機構を取り付けていた跡が、2箇所残っていること。つまり下臼の中心を貫通した軸の先にリンズが取り付けられ、その上に上臼が鎮座していたと推測できるのです。また上臼の上部に開いている3つの孔は、そこに取っ手をつけて回していたことを想像させます。そして何よりそれがすごいのは、この臼はギリシャの発展よりもずっと前の紀元前8世紀以前であるという点なのです。
もしこれが事実であればヴァン湖畔が石臼発祥の地ということになり、その起源は一気に300年以上も遡ることになります。ではなぜこれが紀元前8世紀以前であるかというと、ウラルトゥ王国は、アッシリアのシャルマネセル3世によって紀元前8世紀に滅ぼされたことが史実によりわかっています。よってストーク先生の主張は、この臼はそれ以前のものでなければならないということです。
ただ「石臼ヴァン湖起源説」はそのまま鵜呑みにできないところもあります。というのはウラルトゥ王国が滅亡したのは紀元前8世紀に間違いはないのですが、問題はその石臼が1例しか発見されてないこと、しかもそれが上臼しかないという事実です。もしそこで本当に考案されたのであれば、その辺りにごろごろ転がっていてもいい筈なのに、これまでのところは見つかってないのです。この疑問点は石臼の権威・故三輪茂雄先生が指摘していますが、客観的に見てこちらの方に分がありそうな気もします。何れにしても、どこが石臼の起源であるかは現時点ではまだはっきりと断定できていないようです。